平成卅年戊戌十月三日丙午
2018/11/10
念場原(甲斐国巨摩郡樫山村)
写真のフォルダ名見てどこだよとなったが写真を見たら清里だった 正しい地名とかやって疲れないんですか
念場原はかつては宏漠たる国境の荒野であった
そこに昭和卅二年、隣国・武蔵国多摩郡の最奥に東京の水瓶となる小河内ダムが建設された
水没する多摩郡川野村、原村、河内村、留浦村、それに甲州丹波山村、小菅村の村民は東京のために故郷を奪われ、丹波山村、小菅村の村民には替地としてこの荒野が与えられた
村民は「東京が憎い、やられたんだ」と怨恨を抱きながらも、この土地を開拓し、なにもない荒野を美しい高原の牧草地へと変貌させた
バブル期になるとメディアにたびたび念場原が取り上げられるようになり、念場原は高原の原宿と呼ばれるほどに賑わいをみせた
しかしバブルが終わるとそのブームも過ぎ去り、現在では廃墟となった家屋が軒を連ねている
東京に翻弄され、消費され棄てられた念場原と村民に寄り添った
ONE HAPPY PLAZA 封鎖されている
きのこが特徴的なこの建物も廃墟となっている
廃墟ばかり
停車場に近づくと少し活気が戻ってくる
しかし裏道に入るとこれである
停車場前
停車場にはたくさんの健常者がいたが、若い人はあまりいないようだ
死骸が安置されている
健常者は停車場前だけ見たあと、タクシーや乗合でどこかへ消えてしまう