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平成卅年戊戌七月廿二日丙申
2018/09/01
釧路は明治五年に碇村、浦離舞うらりまい村、苧田糸おだいと村、幣舞村、鬼呼おびよぶ村、寄戸によろと村、春採村を合併してできた村。当初は釧路国内の中心は厚岸であったが明治初期に釧路が擡頭し釧路が首都となった。

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太平洋石炭販売輸送臨港線 春採停車場(北海道釧路国釧路郡春採村)
貨物は許容している。

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釧路市立博物館
釧路出身の建築家 毛綱毅曠によるもの。

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優れた建築の廁

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米町展望台(北海道釧路国釧路郡碇村)
釧路市街が一望でき爆优。下帯広や野付牛などのぽっと出都市は何も生産していないが釧路は漁業、製紙業、炭鉱などいくつもの産業を持つ。何も生産せず人口だけがやたらに多い都市と常に生産を続け国の発展に寄与する都市とどちらが優れているかは火を見るより明らかだろう。

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釧路厳島神社
釧路国一宮とされている。

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三菱トライトンがいた。日本で一時期販売されたがほとんど売れなかった車。

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港文館(北海道釧路国釧路郡幣舞村)

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いすゞ ビッグホーン
いすゞが乗用車を生産していた時代の車。

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釧路フィッシャーマンズワーフMOO
これも毛綱氏の建築。

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幣舞橋
釧路川にかかる橋。北海道三大名橋之一。

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幣舞ロータリー
幣舞橋東詰にある。釧路市道路元標を置くならここだろう。

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幣舞公園
ここの廁もかっこいい。

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松浦武四郎蝦夷地探検像
無謬が石にされている。

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幣舞公園からの展望

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えっちがある。

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釧路川

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釧路の夜

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西幣舞の北大通

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