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平成廿九年丁酉七月十三日癸巳
2017/09/03
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豊原から真岡行き乗合に乗る

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乗合の切符はここで買う。共産主義特有の分かりづらさといった感じだった。

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これが入口

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樺太東線を渡る

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豊原郡西久保村追分

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豊原郡西久保村並川

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↑真岡
←留多加

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留多加川

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真岡郡清水村二股

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農地

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二股停留所
この辺り全く人口を感じられないが、赤蝦夷が虚無な停留所から乗ったり降りたりする。

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真岡郡清水村逢坂
清水村の中心部落。

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熊笹峠の道を登っていく

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熊笹峠には戦勝記念碑と称する違憲があり、これはその案内板。

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熊笹峠

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戦勝記念碑は撮れなかった。これはよくわからない。

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真岡に到着

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真岡郵便電信局事件の舞台となった真岡郵便局跡地
解説板すらなく、赤蝦夷が都合の悪い歴史を闇に葬っている。

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真岡港
樺太最北の不凍港であり、真岡と小樽内を結ぶ船が出ていた。
現在赤蝦夷が翰海・黒竜江鉄道の終点である皇港と真岡を鉄オタごと船で運ぶ鉄道連絡船を運航している。

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掲揚を禁止されている旗

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真岡は赤蝦夷語で“Холмск”(丘の町)というように丘陵地の上に築かれた町である。
これは海岸段丘の上に上る階段。

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段丘の上に来た。

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真岡神社跡地

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馬頭観世音

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読めないけど良くないものだろう。

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停車場の近くを歩いていたら恰度鉄オタが発車した。

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真岡停車場

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跨線橋
壊れかけだけど赤蝦夷は気にせず使っている。

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樺太工業真岡工場
中に入りたかったが行き方がわからなかった。再履対象。

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違憲な像があるのでここが真岡の中心部か。

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この辺りで樺太の野犬に襲われた。
本邦が統治していればこのようなことはありえない。

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道路に穴が空いている。赤蝦夷はこういうのばかり。

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真岡乗合中心の待合室

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真岡港で魚が売られていたが、蝿が集っていて不衛生だった。後進国すぎる。

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日本のナンバープレートよりも横幅が長いので無理やり赤蝦夷のナンバープレートを取り付けている日本の中古車

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真岡から乗合で本斗に行こうと思っていたが、いつまで待っても乗合が来ない。どうやら1日3本に減便されたらしい。劣ってる。豊原に戻ることにした。

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樺太西線

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熊笹峠を越えて豊原へ

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熊笹峠の優れた景観

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鈴谷平野
無限に開拓できるが赤蝦夷は原野のまま放ったらかしにしており怠慢である。

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並川の教会

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一番川

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鈴谷川

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鈴谷川は意外と細いので油断していると気づかない(往路は気づかなかった)

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豊原市街に入ったが道路が劣っている。

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本邦が統治していれば樺太最大の都市でこのような劣った光景を見ることはまずないだろう。
赤蝦夷が豊かな樺太を腐らせてしまっているのだと強く感じる。