同潤会アパートは関東大震災後に財団法人同潤会が建てたアパートのこと。
1926~1934年に東京23区と横浜市に合計16のアパートが建てられたが、建物の老朽化などにより1980年頃から徐々に解体されていった。
そして2013年6月最後に残った同潤会アパート「上野下アパート」が解体された。
解体される前の4月に最期の姿を見に行きました。
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詳しいことはこちらで(Wikipedia)
同潤会
同潤会アパート
同潤会上野下アパートは1929年に東京都台東区上野五丁目に建てられた12号目の同潤会アパート。
銀座線稲荷町駅から徒歩2分、上野駅からも徒歩10分未満というアクセスバリ良い立地にある。
まずは正面から写真を。
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時代を感じる
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外観はこんな感じ。4階部分が飛び出ている。
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エントランス
扉は木製だ。
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郵便ポスト
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階段はこんな感じ。 欄は木製。
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屋上に上る階段。奥に貯水タンクが見える。
屋上は共有の洗濯の場所になっていてコミュニティがあったそうな。
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廊下 部屋は見た感じかなり狭そう。
プライバシーはあまりないと元住民が言っていたのをTVの特輯で観た。
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部屋の入口 たしかにこれではプライバシーは無さそうだ。
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部屋の入口2 旧いポスターが貼ってある。
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部屋の入口3
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4月の時点でここに住んでいる人は少なく殆どの部屋が蛻の殻だった。
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階段の窓から
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共有トイレ
真ん中のだけ新しい。
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裏側はこんな感じ。
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取り壊された後この地に新たに立つ建物の情報
何故か住所が違う
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asa日𣂺聞5月22日夕刊には上野下アパートの記事が掲載されていた。
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ところで実は俺の生まれも同潤会アパートなんです。
いや、正確には病院なんだけど俺が生まれたとき両親が東京都渋谷区代官山町17-5の同潤会代官山アパートに住んでいて、俺もそこで1週間だけ生活したが例によって建て壊しの為直ぐに引っ越した。
因みに父親はそこを引っ越すまでずっと住み続けていたらしいので父親の生まれも同潤会代官山アパートです。
親から代官山アパートはどんなだったか訊くと……
上野下アパートは単体だったが代官山アパートは団地みたいに複数あった。
住んでいたのは1階。庭附き4LDK(ただし部屋自体はかなり狭い)
蔦に覆われていてオシャレでとてもよい氛囲気だった。
しかしそのせいで蜚蠊、鼠、更には幽霊も出たらしい……
詳しくはこちら
代官山アパート(Wikipedia)
同潤会 代官山アパート(Google画像検索)
ここで生まれたことは正直誇りに思ってるけど記憶ないしな……。
写真は美しいものばかりですごく好き。
建て替えがあと3、4年くらい遅れていれば記憶に残ったかもしれないのに……。
因みに跡地は代官山アドレスになっていてそこに建つタワーマンション「ザ・タワー」に祖母が数年前まで住んでいましたが今は老人ホームです。
31階だったので景色が頗る良くてよく窓から外を眺めていました。もう一度眺めたい……。